プロローグ:重い扉の向こう側

こんにちは。ひき子です。 今日お話しするのは、私の心の中にずっとあった「過去の記憶」のこと。 10年以上という、外からは「空白」に見える時間。 でも、その暗闇の中で私が何を見て、何を感じ、何を必死に守り抜いてきたのかを……今回、少しだけお見せしたいと思います。

1. 30代半ば、「10年」という月日が教えてくれたこと

私のプロフィールを読んでくださった方は、薄々気づいているかもしれません。 「10年以上」という引きこもり期間、さらに端々から漏れる年齢のニュアンス。 はい、察していただいた通りの年齢です(笑)。30代半ば。世間では、働き盛りと言われる年代ですね。 この10年間、引きこもりとはいえ、私の世界でも様々なアクシデントやイベントがありました。 よく人に言われるのは、「そんなに長い間、よく引きこもっていられたね」という言葉。 そこには「経済的な事情」への疑問も含まれていますが、本質的には「周囲の視線を気にせず、孤独に耐えうるメンタルが凄い」という意味が強いのだと感じます。 でも、私にとって引きこもりは「強さ」の結果ではなく、学生時代に片足を突っ込んでしまった「逃げ場としての安息」の延長線上にあったものでした。

2. 20代の呪縛と、学生という名の盾を失った日

10代の頃の私は、まさか自分が30代になってもこの状態だとは夢にも思っていませんでした。 しかし、20代に入った瞬間、かつて自分を守ってくれていた「学生」という盾が消え、「ひきこもり」という言葉が呪縛のように心に纏わりつく日々が始まりました。 そんな歳月の中で、私は何を得て、何を失ったのか。 自省を込めて、この身をもって語っていきたいと思います。

3. この10年で得たもの:暗闇で見つけた「マニアックな種」

意外かもしれませんが、書いていくうちに「得たもの」もいくつか見つかりました。

  1. マニアックすぎる審美眼と情報収集力 無限にある時間。通常では知り得ないような深い情報を漁り、自分の趣味嗜好が尖りに尖りました。この「情報の断片」が、今の私の「目利き」の支えになっています。
  2. ペットとの濃密な時間 働いている人には不可能なほど、常に寄り添う時間はありました。……ただ、悲しいことに、うちのペットが一番懐いているのは母と妹。家に居すぎるのも、一種の特権的な悩みなのかもしれません(笑)。
  3. ストレスフリーな「見た目」への影響 人間関係の摩耗がない分、白髪は少なめです。よく言われる「引きこもりは老けない」説。……半分は本当で、半分は嘘。将来への不安という「内なるストレス」で、目尻にはしっかりシロタエ菊のようなちりめん皺が刻まれています。
  4. 細々と積み上げた「小さな資格」 無気力な中でも積み上げたExcelなどの資格。これらは外の世界でも得られるものですが、当時の私にとっては唯一の「社会との接点」でした。

4. この10年で失ったもの:削り取られた「自分」

得たものが少ない一方で、こちらは書くのが辛くなるほど並んでしまいました。

  • コミュニケーション能力と、自然な「笑顔」 場面緘黙(かんもく)気味だった私の話し方は、孤独の中でさらに錆びついてしまいました。面白い動画を見せて貰っても、どう反応していいか分からず、「魔女のような歪な笑い声」になってしまう。人とどう接していたのかを、忘れてしまいました。
  • 「普通」への尋常じゃない執着と、挙動不審 「空白の職歴」というレッテル。それが私を「普通」という強迫観念に走らせます。コンビニに行くだけでも「普通の人」を演じようとして、逆に挙動不審になり、逃げ帰ってしまう。
  • 社会とのつながりの断絶 親戚、近所、友人……。最後に出会ったのは7年前の祖父の葬儀。田舎という環境もあり、自分の現状が周知されているという恐怖が、私をさらに「姿隠し」へと追いやっていきました。

5. まとめ:泥臭くても、しなやかに生きたい

振り返れば、失ったもの、損したことが圧倒的に多い10年でした。 30代半ばという年齢で動こうとすればするほど、底なし沼にハマっていくような感覚を覚えることもあります。

でも、そんな私でも。 「家族に親孝行したい」 「普通の生活を送りたい」 「心から楽しいと笑いたい」 そんな当たり前の願いを、どうしても捨て切ることができないのです。

どうなるかは分かりませんが、私は「生存戦略」という名の新しい地図を広げました。 前向きな気持ちを忘れずに、しなやかに、でも泥臭く生きていきたい。 どうか、そんな私の挑戦を、温かく見守いただければ幸いです。